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僕が発達障害と診断されるまで:うつ状態に隠れていた発達障害の傾向を振り返る

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僕は広汎性発達障害と双極性障害(躁うつ病)を抱えている。学部生だった2010年の夏に身体が思うように動かなくなりってアルバイト先を退職。心療内科の門を叩いた。

最初の診断は「パニック障害」。その後、非定型うつ病や双極性障害(躁うつ病)というように診断名が変遷していき、抗うつ薬や抗てんかん薬、睡眠導入剤の数が増える一方だった。

生活が出来なくなったために実家に戻って治療に専念し、(保険外の)鍼灸院に通ったり漢方薬を試したりしながら徐々に日常生活を取り戻していった。

学部を無事に卒業し、大学院博士前期課程も留年しながらも修了。寛解したものと思い込んで精神科に通うのを自己中断し、実家で家族との揉め事が絶えなかったこともあり博士後期課程への進学とともに再び上京。英語を教えたり教材開発の仕事をしたりしながらも、思うように研究成果が現れないストレスや周りとの軋轢に悩まされて再び動けなくなってしまった。

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ひとは「うつ状態」にばかり目を向ける

ひとは日常生活が上手くいっていれば悩むことはない。何らかの壁にぶち当たったり、周りの環境が変化したりすると「うつ状態」になることがある。

日常生活が崩壊して初めて内科や心療内科、精神科のお世話になる。

それまでできていたことができなくなる。

それはとても辛いことで、元のように元気になりたいと思って病院の門を叩くのだ。

抗うつ薬を飲んだり休養をしたりすると元のように元気になるひともいるし、難治性で双極性障害や統合失調症だとわかって治療方法を変えることになるひともいる。

僕の場合、実家に戻って療養したことで日常生活に不安がなくなり、薬もビタミンB12を飲むだけにまで減薬に成功していた。

このまま精神科に通っていればそれが双極性障害の躁状態だったとわかったかもしれない。ただ自己中断してしまったために「治った気でいた」のだった。

寛解したつもりが実際は躁状態だった

上で家族との揉め事が絶えなかったと書いた。生活習慣や考え方の違いなどで家族はバラバラだった。ずっと寝込んでいた息子が外を出歩くようになったのだ。「元気になったんだったら小遣いくらい自分で稼げ」というのは当然で、僕は研究の合間にアルバイトに勤しんだ。

自分で(再び)稼げるようになると金遣いが荒くなった。

活字中毒の僕は研究書のほかにも和書・洋書を買い漁って読書に耽るようになる。

浪人しながらも一応名前の通っている大学を卒業した僕は、学部時代の就活が上手く行かずに進学したにも関わらず、ある種の万能感のような物を感じていたように思う。

現在の主治医との面談では、この時期の行動は双極性障害の躁状態だったということになっている。

背後にある発達障害特性

生育歴を振り返ると、幼少の頃に複雑型熱性けいれんで入院してから小学校に上がる頃まで抗てんかん薬を服用していた。興味があちこちに向きながらも一度目をつけたらそれに没頭するというタイプで、いま思えばADHD特性とASD特性を併せ持っていた。

ADHDで多動型だと授業中に歩き回ったり、不注意型だと忘れ物が多かったりすると俗に言われるけれども、怒鳴られることが厭で厭で仕方なかったので何度も持ち物をチェックし授業中は無難に過ごしていたように記憶している。休み時間はといえば野球をすることもあったけれども、大抵は地図帳と時刻表で紙上旅行を楽しんでいた。

しかし小学校から高校・予備校時代まで喧嘩が絶えなかった。曲がったことが嫌いで、いじめられっ子をかばったり、授業中の私語を注意したりで疎まれる存在。別に正義感があったわけではない。面倒くさがり屋の僕は、勉強なんていうものは授業時間中だけにして放課後は遊びたかったのだ。自分の関与していないことで説教されるのも厭だし、周りのように進学塾に行くのも面倒だった。授業が止まれば時間的に損をする。ただそれだけのことだ。

校内でのいじめや学級崩壊に耐えられなくなり不登校になった僕は、教育委員会の適応指導教室に通うことになる。自習と質問で終わらせる癖がついたのはこの頃の影響かもしれない。

今はどうかわからないが、内申点が影響する旧態依然とした高校入試制度では不登校の生徒を受け入れる公立学校は少なかった。理解を示してくれた全日制の私立高校に進学したものの、自分の学力より少しばかり低いところの普通クラスに入ったために適応が難しかった。特進クラスに入るための試験を受けることもできたが、特進クラスは0時限目と7時限目と土曜授業がある。ひたすらこれが面倒だった。

授業はあまり聞かず、自学自習で分からなければ質問に行く。教科書に載っていないエピソードとか雑談は聞くけれど、縦のものを横にする(教科書の本文を板書に纏め直す)だけの作業は(少なくとも僕の場合は)自分でやったほうが効率がいい。

こういうのは興味の向いたことしかやりたがらないASD特性の表れだろう。

受験に失敗して予備校に入ると、自習室前で大声で雑談している学生に注意し、あるいは怒鳴りつけ、取っ組み合いの喧嘩にまでなったこともある。当たり前のことだけど、自習室の前ではお静かに。

大学に入ってからは周りが高学歴のエリート揃いで若干肩身が狭かったけれど、知的水準の高い友人に恵まれたのは非常に幸運だった。

僕のいた私大には本当に色々な出自のひとがいて、いわゆる底辺校を中退して予備校に通い詰めて入ったひとや、中学校高校ともに不登校で高卒認定試験を受けて入ってきたひともいた。2人ともいわゆる一流企業に入り活躍している。

最近「不登校YouTuber」が話題になったけれども、自分で勉強できるのであれば全然いいんじゃないかと思えてしまうのはこの2人の影響かもしれない。学校が合わないなら自分で自分の居場所を探せばいい。学校に行って授業に出席だけすればいいっってものじゃないし、授業中居眠りをしたり雑談したりするなら時間の無駄だから他のところでやればいいんだ。「聞く気がないなら帰れ」なんて言うとハラスメントになるから言わないけれども、教壇に立っていた頃は、人生で最もパワフルでいられる10代の時期をそんなことで浪費して何やっているんだ、と思っていた。

「みんな同じ」の学校制度なんてやめてしまえばいいのにね。

閑話休題。そういうわけで、ADHD特性とASD特性は生育歴を見れば明らかだった。あらゆるところで「普通」の人々と軋轢を生む度に適応障害を起こし、騙し騙し生きてきたのだった。

「発達障害」とは何だろうか

ひとはみな違うし、平準化された「普通のひと」なるものは虚構だということは認識している。ただ21世紀の現代社会への適応力という点で「劣って」いるのがいわゆる「発達障害」(あるいはその「グレーゾーン」)なのではないかと僕は考えている。

産業革命が発端だろうか、あらゆるところで工業化・平準化・マニュアル化が進んできている。そこにあるキーワードは、「労働者の代替可能性」だ。

かつて発明や芸術に寄与した人々、同じ仕事を突き詰めて職人と呼ばれるようになった人々は、ADHDやASDの特性を持っていたと言われている。LDの特性を持っていたひともいるだろう。

しかし工業化・平準化・マニュアル化が進む現代社会では、ある種の「型にはまる」必要が生じる。この「型」の断片が、学校制度であったり、新卒一括採用であったり、終身雇用制度だったりするのではないか。

職人も発明者も芸術家も、パトロンの庇護を受けることはなくなった。自分で、自力で、自分の技術なり何なりを売り込まなくてはいけなくなったのだ。情報技術の発達で仲介人を通さない直接取引が進むと、この傾向は強まっていく。

企業に目を向けると、ADHD特性が強く営業職でトップだったひとがマネージャーになった途端に適応障害を起こして身体を壊といった話が「発達障害」関連の書籍に出てくる。企業は利潤を追求するために労働力の代替可能性を高めるがあまり、個々人の特性を見誤っているのだと思う。

「誰にでもできる仕事」などこの世に存在しないのだから。

無論、発達障害者がそれぞれの特性を生かせばスーパーマンになれるというわけではない。社会的な生活が困難で支援が必要なタイプのひともいる。ただ、誤解を恐れずに言えば、発達障害者の一定数は社会が変容することで適応できるようになるのではないか。そんな気がしてならないのだ。

発達障害と双極性障害を抱えて

「発達障害のひとはみんな社会(のあり方)のせいにする」といった言葉を投げかけられたことがある。

「だってそれは『そういうもの』だから」「そんなことは『みんな』我慢してやっている」「どうして『普通』になろうとしないのか」。

「普通」だとか「そういうもの」というのが分からないし理解ができない。それはある種の「ワガママ」に映るかもしれないけれども、根本的に思考回路が違うのだからどうしようもない。

これまで「発達障害という診断名がついて安心した」といった文面を何度も目にした。定型発達のひとには、「発達障害」という診断名が「免罪符」に映るのかもしれない。ただ、僕のほうから言わせてもらえば、定型発達のひとはどうして不条理な社会をあるがままに受け入れるのかが不思議でならない。おかしいことにはおかしいと言わなければ何も変わらないからだ。不条理を受け入れて反乱分子の足を引っ張って、それは自ら進んで緩やかな自殺をしているとは思わないのだろうか。

僕には「普通」というものがわからない。「常識」というものもわからない。「大人の社会で生きるための処世術」なるものも焼却炉に投げ入れたい衝動に駆られる。

大きな物語が崩壊したこのポストモダンの世の中で、「普通」や「常識」というものは構築可能なものなのだろうか。これが、全く、僕の頭の中では処理できないのだ。

いずれにせよ、僕は「広汎性発達障害」「双極性障害」と診断され、精神障害者保健福祉手帳3級を取得した。これは僕にとっては免罪符でも何でもない。それは社会不適合者のレッテルであって、30年以上生きてきたなかで、僕が周りの社会に溶け込めなかったという、その証なのである。

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