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引きこもりニートがアルバイトを経て派遣社員の英語講師になるまで

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2019年に自転車で単独事故を起こしてから脳神経内科に通っている。診断は側頭葉てんかんである。精神科にも長らく通っていて、広汎性発達障害(ASD)と双極性障害(躁うつ病)の治療を受けているなかで、日雇いのバイトを無理をしてやった結果である。そして僕は、大学院を休学し、引きこもりのニートになった。

障害基礎年金を受給しながら静養を続け、ようやくアルバイトができるまでに回復した。選んだ仕事は、慣れた塾講師。学部生の頃に働いた会社に再び採用され、小中学生に英語・国語・社会の文系3科目を教えることになった。

大学院に入ってからは、英語の教材制作の会社でアルバイトをしたり、高校や専門学校で英語を教えてきた。勉強を教えるという仕事には慣れている。

…しかし、国語や社会を教えるのには慣れていない。研修を再び受けたものの、やはり授業準備が大変だ。進学塾というのは、いくら授業準備をちゃんとして臨んだとしても、結局は生徒のやる気を出させるということに尽きる。そして保護者への電話掛けをして「やってる感」をアピールし続ける。コミュニケーションが不得手な人間には辛い職場である。

そんなある日、登録している派遣会社から高校の英語講師の欠員があるということで電話があった。朝起きることに自信がなかったし、火曜日と日曜日を除く5日間出講しなきゃいけない。更に悪いことに、大学院の授業と被る。スケジュールの都合で断るしかなかった。

そして夏期講習を経て配属先が変わった。欠員のある3つの教室へのヘルプである。夏期講習で出講した教室は教室長がいいひとだったので続けられると思ったのだが、今度の配属先は合わなかった。教務マニュアルをガン無視するひと、過剰な宿題を出すひと、そういうのが耐えられなくなった。

僕とて中学校と高校の英語の専修免許を持っていて教歴も長い専門家である。どういう教授法に効果があるのかなどには自分の信念がある。でもそういうのはお給金には反映されていない。学部生と同じ最底辺の金額で、自宅から遠い校舎に出講していた。これでは近くのコンビニで働いた方が稼げる。年内で辞めようと思った。まだ社会復帰には早かったんだ。そう思った。障害基礎年金もあることだし、また無理して身体を壊してはいけない。そんなふうに感じていた。

そう打ちひしがれていたなか、再び電話が鳴った。例の派遣会社である。なんでもまた別の学校で欠員が出たという。月曜日から金曜日まで、全て午前中の勤務。僕が午後からの大学院の授業に参加できるようにコマを1つ動かしてくれるよう働きかけるから是非やって欲しいとのことだった。

「実はまだ他の登録者には知らせていないんです。先生の学歴・教歴を見て、ぜひ尾根願いしたいと思いました」という担当者の言葉に心が震えた。…こんな僕でも評価してもらえるんだ。それが嬉しかった。

睡眠障害を持っていて朝起きる自信はない。勤務地も少し離れている。通えるかどうか、少し悩んだ。「少しだけ考えさせてください」と返事を保留。スケジュールをシミュレーションした。通勤経路を工夫すれば、朝6時で何とかなる。コマ給も悪くない。しかも進学校で授業は真面目に受けてくれる校風だという。朝起きられればという前提だが、こんな好条件はなかった。

合わなければ塾講師を続けたっていい。そんなのは嫌だけれども。そうして年内はダブルワークをすることに決めた。

こうして僕は派遣社員となった。幸いにして出向先の高校は前評判通りいい学校で、授業をサボるような連中はいない。真面目に聞いてくれる。保護者への電話掛けもないし、ある程度は授業の内容を任せてもらえる。精神衛生は、かなり改善した。

しかしダブルワークは僕の身体を蝕んだ。塾の方は、やはり辞めることにした。障害基礎年金が更新できるかどうかが不安で仕方がなかったが、こちらは無事に更新できた。病欠代替で3月までという話だったが、来年度も是非勤務してほしいと。

来年度はすでに専門学校への出講が決まっているので、そちらの時間割次第ではコマ数を減らすことになるかもしれないが、そうやって評価してくれる職場に出会えたことは、非常にありがたいことである。

僕の社会復帰はまだまだ始まったばかりだ。研究を積み重ねて博士号を取って大学に職を得たい。自分に合う職場に巡り会えたことで、本業の研究の方も俄然やる気が出てきた。

教育業界はどこも人手不足だ。自分に合わない学校に勤務することになって身体を壊す人を沢山見てきた。僕もその一人だった。

しかし何かの巡り合わせで自分を評価してくれる職場はある。僕が教員に向いていなかったんじゃない、その学校に向いていなかっただけなのだ。今は派遣会社も出向先の高校も僕を評価してくれている。それがやる気に繋がり、授業内容も改善される。朝早く起きることにも慣れたし、どうやらしばらくはやっていけそうだ。

この仕事を始めたのは成り行きでしかなかったが(本当はマスコミ志望だった)、ここにきて希望の光が見えつつある。双極性障害の症状も少しずつだが改善してきた。発達障害は治らないけど、それでもやっていける職場があるというのは非常に恵まれたことだ。

こうして、僕は再び英語の講師となった。学部生のバイトと同じような立場でなく、派遣社員の非常勤講師として。去年の今頃は引きこもりニートだったなんて、誰が信じるだろうか。100kgを超えた体重も80kgまで落ち、塾講師のアルバイトを始めたときに買ったスーツはもうブカブカだ。

懐も潤ってきたことだし、そろそろ新しいスーツを買おうか。なんだか頑張れそうな気がしてきた。今年度の勤務もあと2ヶ月弱。僕は、少しずつ、前を向いている。

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