3年前に起こったこと、そしてこれから:社会復帰に向けて

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3年前の2019年6月2日。僕は救急車で病院に搬送された。自転車で走行中に意識を失い、車道に倒れたのだ。

広汎性発達障害と双極性障害(躁うつ病)を抱えている僕は、対人関係に苦しみ、本業の研究も、学費を稼ぐためのアルバイトも上手くいかなかった。高校で英語の講師をしたものの適応障害を起こして辞め、残っていた専門学校の非常勤講師も任期満了で契約解除になっていた。

塾や予備校など専門を生かせる仕事を探した。上手く進まないながらも研究は続けないといけない。高時給でサクッと稼げる仕事がよかったのだ。…しかし、不採用を知らせる紙切れが届くばかりだった。そんな状況で、僕は動けなくなった。うつの症状が悪化したのだ。

感覚過敏がひどくなり自然光や環境音に耐えられず引きこもりになった。体調のいいときは大学の図書館や研究室に行ったけど、それ以外は食料品を買うための外出しかできず、部屋は荒れ放題。実家に戻ることを決意したものの、すぐには帰れない事情があって、貯金を削りながら一人暮らしを続けた。

コンビニやスーパーなどのアルバイトをすることも考えた。しかし、睡眠障害が酷くなり、生活時間は不規則。もはや通常のアルバイトをしようにも生活を管理できない。雀の涙ほどのブログのアフィリエイト収入だけが頼りだった。

そんなある日、友人がUber Eatsの配達員で稼いだ話をかつて飲み会で聞いたのを思い出した。そうだ、時間に縛られない仕事なら、体調のいいときだけ小銭稼ぎができる。幸いにして商業圏は近く、自転車もある。今思えば浅はかな考えだったけれど、極貧状態にあった僕は、それに縋ってしまった。

配達員は争奪戦だ。店に近いひとに順々に連絡が行きマッチしたら仕事が貰える。飲食店の多い駅の近くで待機し、仕事を得られたら住宅街まで自転車を走らせた。データの分析は得意だ。稼働の多い時間を狙って、エリアを絞る。少ない時間は研究やブログの更新に充てる。これならできる。稼げる。そう思って無心に自転車をこいだのだった。運動にもなるから引きこもりで増えた体重が減らせる。そんな安直な動機で始めた仕事は、そう長く続かなかった。

今日は昼間結構働いたから夜はやめておくか、なんて思った日のことだ。夕方、携帯のブザーが鳴った。——そろそろ夕食の時間、夕飯を買うのに外出するついでに今日最後の配達をやろう。それが悪夢の始まりだった。

弁当を店に取りに行って配達先を確認すると、少し離れた距離だった。いつものように片側3車線の大通りの車道を自転車で走り抜ける。僕は自転車に乗るときは基本的に歩道は使わない。速く走るため、車道を使う。これが少ない回数で短時間で稼ぐ秘訣の一つだった。これで最後にしよう、今日は稼げたから帰りに美味いものを食べるんだ。——その刹那、僕は意識を失った。

気付けば警官と救急隊員がいた。僕は、片側3車線の大通りの車道にぶっ倒れていた。悪運が強いのか、車に轢かれることもなく、目立った外傷もなかった。救急搬送先の病院でCTを撮ったが、これも異常なし。神経内科の医師が言うには、てんかんの発作ではないかという。この頃には意識はハッキリとしていて、警察の事情聴取に答え、Uberのサポートセンターに謝罪の電話をすることもできた。医師は入院の必要はないとして、たまたま搬送先が自宅近くだったこともあって、その日は帰宅した。

警察から連絡を受けた両親がやってきて、荒れ果てた部屋を片付けてくれた。後日念のためMRIを撮ったが異常はなかった。しかし、てんかんの診断は覆らない。自転車の運転は危険だ。配達員の仕事は諦めることにした。——稼いだお金は全て病院代に消えてしまった。

部屋の惨状と事故の凄惨さから両親は実家へ戻ることを許してくれた。さっさと部屋を引き払い、実家に戻って治療に専念することにした。数ヶ月後、障害年金の申請をした。1年前には働いていたためか通らなかったが、事後重症ですんなり障害基礎年金を受け取れることになった。

てんかんの発作を誘発しないよう運動を制限せざるを得なくなり、肥満体型はさらにひどくなった。うつが悪化する前は65kgだったのが80kgに増加しただけで厭だったのに、ついに100kgの大台に。うつの症状は更に悪化して、通院以外は殆ど外出しないくらいにまでなってしまった。

リハビリも兼ねて大学院の授業に出ることはした。でも研究する気力は完全に失せていた。そうしているうちに新型コロナウイルスの影響で大学がロックダウンされ、僕は外出機会を失ってしまう。ブログを書く気力も失われていた。精神症状が悪化して長文が書けないのだ。SNSを開くのも辛い、そんな日々が続いた。

2年くらい無為な生活を続けただろうか、去年の終わりくらいから抗うつ薬が効き始め動けるようになった。ライトノベルから小説、論文へと少しずつ読むリハビリをしていって、書く方もSNSくらいなら出来るようになった。散歩もできるようになり、今こうしてブログを書いている。

ずっと労働意欲が湧かなかったのだが、障害基礎年金の範囲内で生活するのは実家で食事代がかからないとはいえ心許ない。趣味をするにはどうしてもお金が要る。そう思ってアルバイトをすることにした。何社かは落ちたが、今度は1社だけ拾ってくれるところがあった。スーツを新調し、契約書にもサインした。

大学院のほうは相変わらず休学を続けている。論文が読める程度に回復したので、今度は書けるように、少しずつやっていくつもりだ。学則上の休学をめいいっぱい浸かって、博士論文は出せないまでも、査読付きの雑誌に論文を載せて満期退学を狙うことはできる。

満期退学を目指して論文を出版できるよう研究を進め、一方で週に2回程度アルバイトをする。これから2年間はそういう生活になる予定だ。

これでようやく、僕の社会復帰が本格的に始まる。

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