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躁鬱病引きこもりニートは派遣社員から掛け持ち非常勤講師になった

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2019年に自転車の単独事故を起こした。双極性障害のうつ状態が悪化し動けなくなった大学院生は専門学校や高校の非常勤講師をやる体力がなくなり、生活費が払えなくなった。実家の年金暮らしの親に無心して当座をしのぎ、実家に戻るまでの間に少しでも小銭稼ぎをしようとUber Eatsの配達員の研修を受け、これもダイエットだと思って(抗うつ薬の副作用で激太りした)、新宿の街を自転車で駆け巡った。その最中の出来事である。

新宿区のある店舗で品物を受け取り、千代田区へと走った。自転車でスピードを出して速達すれば高評価に繋がる。そう思って片側3車線の靖国通りの車道を原付バイク並の速度を出して走っていた。ーー記憶はそこで途切れている。交通量の多い道路で車に轢かれなかったのが今でも不思議でならないが、九死に一生を得た。搬送先の大学病院で「てんかん」の診断を受け、しばらく自転車に乗らないようにと言われ、再び僕は仕事を失った。ブログのアフィリエイト収入だけではとても生活ができず、大学院を休学して実家で静養することにしたのだった。その数ヶ月前に申請した障害基礎年金が通っていれば、このようなことは怒らなかったかもしれない。

実家に戻って引きこもりの生活をしたことで数ヶ月を経て障害基礎年金を受給することができ、学籍上は休学のステータスのまま大学院のゼミに顔を出すようになった。このまま障害年金を受給しながら博士号を目指せばいいやと思っていた。しかし、そこに訪れたのは新型コロナウイルスの蔓延。図書館への入館も制限され、なかなか研究が進まなかった。

うつ症状が快方に向かうと、両親は少しでもアルバイトをしなさいと言うようになった。仕方なく塾講師の採用面接を受け、しばらく働いた。そんななか、随分と前に登録してあった派遣会社から近くの高校に欠員が出たということで、派遣社員として高校に非常勤講師として出向したのであった。しばらくダブルワークをしたあと、パワハラなどが原因で塾を辞めた。ここまでは以前書いた通りである。

専門学校へ週1回出講することが決まっていたので、その日を除いて月曜日から土曜日まで働く。最近の私立高校は土曜日も授業がある。ゆとり教育の時代に育った僕にはとても考えられないが、週18コマ働いた。とある大学で非常勤をするという話ももらい、かなりのハードワークである。そのなかで研究を進めるのは、いくらステータスが休学だからといっても、うまくいくはずもない。

ある夏の日、僕は再び倒れた。普通に授業をしていたはずだった。「次回は次のセクションに入ります」とか何とか言って、号令をかける指示をしたようなところまでは覚えている。再び救急車で大学病院まで運ばれ、てんかんの再発だろうと言われた。頭部に異常はなく、後日精密検査をするということで帰宅した。減薬していた抗てんかん薬を前の量に戻すということで決着し、翌日から再び教壇に立った。生徒からも周りの教員からも心配されたが、「薬をちゃんと飲んでいれば大丈夫」という医師の言葉を信じて仕事を続けた。

2月。次年度の仕事と研究のスケジュールを決めるために、出向コマ数の調整をしようと管理職に訊ねる。「来年度のことは、(派遣)会社と相談してください」。派遣会社に問い合わせると、次年度の派遣継続については難しいかもしれないと言われた。ーーショックだった。育休明けの教員が復帰して数が足りていたのかもしれない。でもそれならもう少し早く言ってくれてもいいじゃないか。

リタイアしている両親は食費は出してくれるが学費や書籍代は自分持だ。専門学校や大学の出講コマ数が増えるとはいっても、それだけで生活するのは難しい。しかし高校の非常勤の枠はすでに埋まりつつある時期だ。動くのが遅すぎる。派遣会社に何校か紹介されて面接にも行ったが、向こうの求めているのは欠員の出ている数コマを埋めてくれる人員。こちらは生活できる水準のコマ数を要求しているので受給がマッチしない。派遣会社に頼りきりでは上手く行かないかもしれない。

自分でも求人情報を探して履歴書を何通か送った。そこで何校か興味を持ってくれるところがあった。実際に面接に行ったのは2校。最初に行ったところは、やはり10コマ程度しか出せないだろうと。2校目はこちらのやりたいことと違うような気がして、3校目と面接の日程を調整しようとしていた。

しかしここで奇跡のようなことが起こる。「空きコマが増えたので週3で来てもらえませんか」。電話口でそう告げられた。週3でそのコマ数なら他の勤務校と合わせてギリギリ生活できる。校風も申し分ない。少し遠いが、この距離なら通えなくもないだろう。そうやって、派遣会社との契約を満了して現在の勤務校に移る決意を固めたのだった。

授業調整の結果、コマ数は私学共済にも加入できる水準にまでなった。国民健康保険よりも安いのでありがたいことだ。他の勤務校の出講時間や大学院の授業時間に配慮してくれて、しかも他の学校より待遇がいい。こんなこともあるのだなと思った。

そういうわけで、引きこもりニートがアルバイトの塾講師と派遣社員を経て、正規雇用の非常勤講師になったわけである。しかし3校掛け持ちは忙しい! 研究時間がまるで取れないではないか!

論文の進捗は非常に悪い。課程博士を諦めて満期退学要件を満たすことを目指している。僕は来年度はどのような仕事をしているのだろうか。

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