ソフトウェア会社「サイボウズ」の青野慶久社長らが東京地裁で争っている選択的夫婦別姓の裁判。
現行の法制度が夫婦同姓を強制していると言われているが、条文を読むと禁止しているようには思えないので、その素朴な疑問を共有したい。
戸籍法と民法の改正が必要?
夫婦別姓については、最高裁が2015年に夫婦同姓を定めた民法の規定を「合憲」と判断したことが知られている。
最高裁の法解釈では民法の規定によって夫婦同姓になるそうだが、果たして本当にそう書いてあるだろうか。
民法第750条
夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫又は妻の氏を称する。
(民法 第750条)
一般的な法解釈では、民法第750条は「夫婦同氏の原則」を定めているとされている。
「婚姻の際に定められるところに従い」という部分は戸籍法に関わるので置いておくとして、問題は、「夫婦は…夫又は妻の氏を称する」という部分だ。
民法第750条の2つの解釈
民法第750条には論理的に2つの解釈が存在する。
- 「夫婦」を一つの単位として、夫の氏または妻の氏を称する(夫婦同氏の原則・第三の氏の禁止)
- 「夫婦」の構成要員である「夫」「妻」がそれぞれ夫の氏・妻の氏を称する(第三の氏の禁止のみ)
「夫婦」を一つの単位として(「夫婦は(単一のグループとして)夫の氏または妻の氏を称する)読むと夫婦同氏の原則が出てくるが、副詞「それぞれ」を入れて「夫婦は(それぞれ)夫又は妻の氏を称する」とすると第三の氏の禁止しか出てこない。
排他的論理和と包含的論理和
「または」という接続詞は、AかBかの2択で解釈されがちだが(排他的論理和;exclusive OR)、副詞「それぞれ」を入れればわかるようにAかつBという解釈も問題なく成立する(包含的論理和;inclusive OR)。
よって、民法第750条を夫婦同氏の原則と捉える人は(無意識的に)排他的論理和の解釈を選んでいることになる。
夫婦別姓と民法750条は矛盾しない
現在の日本社会では夫婦同姓が当然なので排他的論理和の解釈(夫婦同氏の原則)が生まれるわけだが、夫婦別姓が当たり前の社会でもこの条文は矛盾しない。
そういった社会では、夫婦が第三の氏を作ることが禁止されるだけだ。夫が妻の氏かつ妻が夫の氏を称することもひょっとしたら可能かもしれない。
戸籍法第74条
次に今回の争点になっている戸籍法を見てみよう。第6節「婚姻」のなかで夫婦が称する氏について書かれているのは第74条だ。
婚姻をしようとする者は、左の事項を届書に記載して、その旨を届け出なければならない。
一 夫婦が称する氏
二 その他法務省令で定める事項
(戸籍法 第74条)
ここでも「夫婦が称する氏」を届け出るとしか書かれておらず、単一の氏を名乗ることを強制する条文にはなっていない。
「夫婦が(それぞれ)称する氏」という読みが可能だからだ。
「夫婦同氏の原則」はどこから出てきたかとすれば、民法第750条で排他的論理和の解釈を採用したことに他ならないだろう。
民法も戸籍法も選択的夫婦別姓と矛盾しない
ここまで民法にも戸籍法にも単一の氏を呼称することが明文化されていないことを見てきた。
民法第750条の「夫婦は…夫又は妻の氏を称する」も戸籍法第74条の「夫婦が称する氏」も、暗黙に「単一の氏」と読んでいるから「夫婦同氏の原則」とされるわけで、副詞「それぞれ」を補って読めば夫婦が別姓であっても何の問題もない。
裁判官や弁護士など法曹関係者がどうして単一の氏の解釈しか出ないと考えているのか甚だ疑問だが、民法・戸籍法ともに条文の日本語を読む限りは2つの解釈が可能で、その一つでは選択的夫婦別姓を許している。
夫婦別姓を求める裁判ではこの条文の解釈を争ったほうが良いのではないだろうか。
参考リンク
- サイボウズ社長「使い分けで損失と苦痛」 夫婦別姓訴訟(朝日新聞デジタル;2018年4月16日)
- 夫婦別姓「選べないのは違憲」 サイボウズ社長ら国提訴 (朝日新聞デジタル;2018年1月9日)
- 株式の名義変更に81万円…改姓で「無駄な活動が発生」(朝日新聞デジタル;2018年4月16日)
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