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牛乳石鹸WebCM「与えるもの」篇が面白い

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インターネット上の一部で炎上している牛乳石鹸のWebCM。子供の誕生日に飲んで帰ってきた主人公が妻から非難され、そのストレスを石鹸で洗い流すという話の流れに批判が集中しているようだ。筆者も所見の段階では炎上やむなしという印象を持ったが、同時に非常によく練られた脚本のようにも思われた。今回は、その面白い方の側面を紹介したい。

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ストーリー書き起こし

牛乳石鹸WebCM「与えるもの」篇の内容は以下の通り。1

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主人公は朝は通勤時にゴミ出しをしてからバスに乗り込むのが日課だ。この日は子供の誕生日で、玄関を出る際に突然妻から「帰りにケーキをお願い」と頼まれる。勤務中、ミスをした後輩が上司に「なんで報告しないんだ」などと叱られいるのを目撃。その頃、携帯電話には妻から「プレゼントもお願い!」とグラブの絵文字が入ったSMSが入っていた。

子供の頃の父親を回想し、「あの頃の親父とはかけ離れた自分」に関する悩みを吐露する。「『家族思いの優しいパパ』、時代なのかもしれない。でもそれって正しいのか。」

野球用品店で入念に選んだグラブとホールケーキを手に自宅へ向かっていると、昼間に上司に叱られた後輩が酷く落ち込んだ顔で歩いているのが目に入った。居酒屋に誘い「俺も昔怒られた」と後輩を慰める主人公。妻から電話がかかってくるが無視し、後輩のケアに専念する。

家に帰ると、妻は「なんで飲んで帰ってくるかなぁ」と怒りの表情。主人公は反論することなく風呂へ向かう。

再び回想。「親父が与えてくれたもの、俺は与えられているのかなぁ。」

「さっきはゴメンね」と謝り、子供と一緒に遅めのパーティーを始める。

翌朝、主人公はいつものようにゴミ出しをしてバスに乗り込む。

「さ、洗い流そ。」

牛乳石鹸 WEBムービー「与えるもの」篇 フルVer.より筆者作成)

パパvs.親父

主人公は「家族思いの優しいパパ」という時代が要請する男性像を演じようとする一方で、父親と自分を重ね合わせてそのギャップに悩んでいるようだ。「あの頃の親父とはかけ離れた自分」「家族思いの優しいパパ」「親父が与えてくれたもの」。「パパ」と「親父」の使い分けが効いている。当時は何の記念日であろうと家族サービスそっちのけだったのかもしれない。子供時代にキャッチボールの相手をしてもらえずに壁当てをしていた描写が父親不在の生活を示している。

<上司→部下>と<妻→夫>のシンクロ

妻が夫に「どうして飲んで帰ってくるかなあ…」と一方的に窘める2シーン。ミスをした部下(=主人公の後輩)を上司が一方的に怒鳴りつけるシーンとシンクロしている。こういうタイプの人は延々と文句を垂れ続け、弁解しようものなら「言い訳するな」「屁理屈を言うな」などと始まり収拾がつかなくなる。その場を耐えて謝罪の言葉を述べておくのが一番経済的だという判断をしたのだろう、部下も主人公も反抗の態度を見せることがない。

「ケーキをお願い」「(グローブの絵文字)プレゼントもお願い」という非常にアバウトかつ一方的な指示から想像するに、主人公と妻は一緒に相談して物事を考えて結論を導くということをしていない。妻がアバウトに指示を出し、夫がいろいろ忖度して行動する。そういう力関係なのだろう。相談したところで何も始まらない可能性すら感じられる。

パーティーのドタキャンは「親父」への憧れか

「『家族思いの優しいパパ』[中略]それって正しいのか。」この言葉のあとで居酒屋のシーンに転換する。Twitterやブログ等で「妻子への反抗」という読みをしている方がおられたが3、筆者は「親父」への憧れがそうさせたのではないかと読む。前述の通り、主人公の父親は家族サービスをしないタイプの人だったが、主人公は親の背中を見ながら「何かを得た」という感触を持っているようだ。「親父が与えてくれたもの、俺は与えられているのかなぁ。」主人公は自分がパーティーをドタキャンすることで、「親父が与えてくれたもの」を子供に与えようとしたのではないだろうか。

しかしこの企みは失敗に終わる。もやもやとしたものを抱えながら帰宅した主人公を怒りの表情で迎える<妻=上司>は主人公が「親父」になることを許さないのだ。風呂場で洗い流したのは、(ストレスもあるだろうが)「親父への憧れ」ではなかったか。風呂から上がると、主人公は「家族思いの優しいパパ」の顔に戻っている。

集積所のゴミの中身は…

冒頭と終盤には集積所に出したゴミ出しをする主人公の姿が描かれる。この物語のなかで主人公が捨てたのは何だったのか。この集積所のゴミは、「やり場のない思い」や「親父への憧れ」など、口や行動に出さなかった様々なものを暗示している。主人公はこれからも「家族思いの優しいパパ」を演じ続けることだろう。

まとめ

それぞれのシーンを注意深く読んで見ると、本当に非難すべきCMなのかどうか非常に疑わしいように思う。「妻と子供が待っているのに外で酒なんか飲んで、それを石鹸で洗い流して忘れるとは不快だ」という読みは非常に一面的で、全体からすると「数あるエピソードのひとつ」でしかない。仮にその読みが正しかったとすると、上で挙げた巧い脚本が無意味なものとなってしまうほどだ。何年か前に森山直太朗さんの「生きてることが辛いなら」の1コーラス目の歌詞「いっそ小さく死ねばいい」が炎上したことがあったが、あれと同じ向きの炎上だろう。最後の「くたばる喜びとっておけ」に至るまでの歌詞の展開を読まずに一面だけ切り取っても何も生まれなかったはずだ。自分の読みが本当に「正しい」のか、「正しさ」をサポートする根拠があるかを問い直し、仮に瞬発的に批判してしまったとしても、誤解していたなら訂正したいものである。

追記

エントリを書き終えてから面白い分析を見つけたので追記する。「牛乳石鹸を嫌悪する人々はMBTIのF(感情型)なだけ?」(精神分析のススメ)は「罪悪感を(牛乳石鹸で)洗い流して、癒されよう」というメッセージだと読んでいるそうだ。

父親の行動を不愉快に感じ、宣伝の意図を汲み取れない人達は、思考することなく、好き嫌いという、感情に基づいて判断を下しているのです。

完全に同意する。感情論に陥ると事実認識を誤ることがままあるし、キレる前に「これはキレていいところだろうか」と確認してからキレる癖をつけたいところだ。ちなみに筆者はMBTIだとINTP(もしくはI寄りのENTP)にあたる。あくまでもこれはテストを受けた時点の結果であって、年齢を重ねる間に変わることもある(あるいは訓練によって変えることもできる)。レッテルを貼りたがる人は立ち止まる癖を、立ち止まりすぎる人は動く癖をつければ良いのではないだろうか。

Notes

  1. 説明をする便宜上、情景描写を含む多くの部分を書き起こした。版権上問題がある場合はご指摘いただきたい。
  2. このセクションは、はてな匿名ダイアリー「牛乳石鹸のWebCMが読めない奴が多くて驚く」とそのリプライ欄からヒントを得た。
  3. 例えば、@BoyWithTheThorn氏のツイートなど。
プロフィール
悠木貴仁(P.N.)

リベラル保守を自称するブロガー、高校・専門学校などで英語を教える非常勤講師。小学生の頃からインターネットの海を漂う。中学校で不登校を経験後、全日制高校を卒業して早稲田大学に進学、上智大学大学院で修士号を取得。ASD・ADHD・双極性障害・てんかんを持病に持ち、精神障害者手帳2級。

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